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ガゼッタ・デッロ・スポルト選出:ユベントスが行った残念な取引10選

 まもなく、2016年1月の移籍市場が始まります。良い取引もあれば、(結果的に)悪い取引となった場合も存在します。

 イタリアの『ガゼッタ・デッロ・スポルト』がカルチョポリ後に復活したユベントスが過去5年の移籍市場での失敗と言うべき10の取引を掲載していましたので紹介します。

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01) ミケーレ・パオルッチ(2010.1-7)

画像:ミケーレ・パオルッチ

 元々、ユベントスの下部組織出身の FW でしたが、チームでポジションを掴むまでには至らず、数々のチームでプレーしていました。

 2010年1月、チーロ・フェラーラが率いていた低迷期に主力の FW 陣が軒並み離脱します。キエーボ戦を前にトレゼゲとイアキンタが負傷離脱、アマウーリがサスペンションという事態に陥りました。

 アレッシオ・セッコはパオルッチの保有権 50% をシエナから獲得し、起爆剤としての役割を期待しましたが、4試合に出場し無得点でシーズンを終えました。また、チームも7位と振るわず、前年度リーグ2位の面影は完全に消えたシーズンでした。

 

02) ホルヘ・マルティネス(2010/11)

画像:ホルヘ・マルティネス

 2010年夏、カターニャでの活躍が評価され、デル・ネーリを招聘したユベントスが1200万ユーロの移籍金で獲得します。

 トリデンテ(3トップ)の一角としての活躍が期待されたのですが、デル・ネーリの期待するサッカーでは輝くことはできず、チームも2年連続7位となり、翌年にはジャッケリーニと入れ替わる形でチェゼーナに放出されることとなりました。

 ちなみにユベントスでの成績は14試合に出場し、0得点でした。

 

03) ミロシュ・クラシッチ(2010/11 - 2011/12)

画像:コンテから指導を受けるミロシュ・クラシッチ(写真:左)

 2010年夏に CSKA モスクワから移籍金1500万ユーロで加入し、シーズン前半戦 MVP 級の活躍を見せ、ファンの期待を一身に集めます。

 でしたが、後半戦は相手チームの分析が進み、クラシッチのシュミレーションによって審判がファールを取らなくなったため一転して不振に陥ります。翌シーズンにはコンテが新監督に就任しますが、4-2-4 にも 3-5-2 にもポジションはなく出場機会を激減させることとなりました。

 2012年夏に移籍金700万ユーロでフェネルバフチェ(トルコ)に売却され、クラシッチのユベントスでのキャリアは幕を下ろしました。

 

04) マルコ・モッタ(2010/11 - 2012.1)

画像:ロビーニョ(写真:右)と競り合うマルコ・モッタ

 2010年夏にレンタル移籍でユベントスに加入しましたが、同じく若手のソーレンセンやアリアウドに遅れをとり、出場機会を確保するまでには至りませんでした。

 SB としての将来性を見越したユベントスは375万ユーロの移籍金で2011年夏に完全移籍としたのですが、コンテ監督下でリヒトシュタイナーとのポジション争いに敗れ、残りの契約期間はレンタル移籍を繰り返すこととなりました。

 これら一連の取引で公認された代理人以外に報酬が支払われたとして、マロッタ GM やマラティーチ SD が巻き込まれていることからも最悪の取引の1つと言えることでしょう。

 

05) エルイェロ・エリア(2011/12)

画像:エルイェロ・エリア

 2011年夏に移籍金900万ユーロで加入したオランダ出身のウィンガーです。コンテ監督が 4-2-4 で戦うことを前提に獲得したのですが、ピルロやイタリア代表の CB 3人衆を起用するために 3-5-2 をベースにしたため、ウィングのポジションが消えることとなりました。

 攻撃がセールスポイントであったため、出場機会も満足に得るまでとはならず、ユベントスでの出場記録は4試合(0得点)でした。そのため、翌シーズンには移籍金550万ユーロでブレーメン(ドイツ)へ放出されることとなりました。

 

06) ミケーレ・パツィエンツァ(2011.6 - 2012.1)

画像:ミケーレ・パツィエンツァ

 2011年夏にナポリとの契約が満了したため、ユベントスに加入します。ナポリで100試合以上もプレーしたこともあり、ダブルボランチの一角になるのでは期待が持たれていました。

 ところが、(モッジGMが「久しぶりの的確な補強」とシーズン前に評した)レバークーゼンから加わったビダルがセリエAの水に即座に適応。また、ミランからピルロがフリーで加わったため、MF のポジションは埋まることとなりました。

 その結果、半年でチームを離れ、翌年にはボローニャへ完全移籍することとなりました。ユベントスでは8試合の出場に留まっています。

 

07) ルシオ(2012.6 - 2012.12)

画像:コンテの指導を受けるルシオ

 2011/12 シーズン、コンテ監督の 3-5-2 で久々のスクデットを獲得したユベントスが3バックの控えをできる選手としてインテルからルシオを獲得します。

 怪我による離脱やターンオーバーなどによる起用があると見込まれていたのですが、コンテは頑なに選手の入れ替えを行おうとはせず、出場機会はほぼ皆無に近い状態でした。そのため、ユベントスフロント陣は選手からの契約解除の希望を認め、トリノでの在籍期間は半年にも満たないものでした。

 

08) ニクラス・ベントナー(2012/13)

画像:シュートを放つニクラス・ベントナー

 2012年夏にアーセナルからレンタル移籍の形態で加入。イブラヒモビッチを越える素材などと高く評価されていましたが、実力の片鱗を見せることはなく、ユベントスは買取オプションを行使することはありませんでした。

 当時のユベントスは軸となる CF の獲得が移籍市場で毎回のように叫ばれていたのですが、ベントナーに白羽の矢を立てたことは驚きだったと言えるでしょう。

 ユベントスでの成績は怪我や不振の影響もあり、9試合(0得点)でした。クラブで輝いている印象は薄いのですが、デンマーク代表では活躍する不思議な選手という印象です。

 

09) ニコラ・アネルカ(2013.1 - 2013.6)

画像:ニコラ・アネルカ

 先述のベントナーが機能しなかったことを受け、上海申花でプレーしていたアネルカを半年レンタルで補強したのですが、出場機会すら満足に得られずに終わりました。

 費やした金額は少なかったと言えるものの、明らかに FW のパニックバイに該当し、無意味な補強に陥っていたと言わざるを得ないものがあります。中国でプレーしていた選手が1月に加入して、目を見張る活躍をすることは宝くじよりも確率が低いと言えるでしょう。

 

10) マウリシオ・イスラ(2012/13 - 2013/14)

画像:マウリシオ・イスラ

 最後は2012年夏にウディネーゼから加入したイスラです。アサモアと同じく、中盤や右サイドでの活躍が期待されたのですが、ウディネーゼ時代に負った影響から新チームで出遅れたこともあり、コンテやアッレグリの信頼を得るまでには至りませんでした。

 そのため、昨シーズンは QPR、今シーズンはマルセイユとローン移籍を繰り返し、戦力としては計算されていない状況となっています。ベントナーと同じく、代表チームで見せるパフォーマンスとは大きなギャップがある選手と言えるでしょう。