“カルチョの闇” を浮かび上がらせたカルチョポリの一件ですが、主犯者とされたルチアーノ・モッジ元ユベントスGMが『ラジオ24』の番組で「ガッリアーニの嫉妬がカルチョポリを起こした」と発言したと『コリエレ・デッロ・スポルト』が報じています。
ルチアーノ・モッジ氏:
「カルチョポリ?ある日、私はベルルスコーニからパラッツォ・グラッツィオーリに呼ばれ、そこへ行きました。彼は私にミランに来るようオファーしました。ガッリアーニにとって望ましいことではありませんし、彼にカルチョポリを起こさせることになったのです。
私はユベントスで2度スクデットを勝ち取りました。2000年から2004年でラツィオ、ミラン、そしてローマが勝っています。
ラツィオの場合(1999/2000 シーズン)はピッチが水没し、74分で試合が中断になりました。2度と起きないケースと言えるでしょう。ローマの場合(2000/2001 シーズン)も中田の活躍によるものです。
どちらもユベントスが弱いチーム力でイレギュラーなシーズンだったにもかかわらず、彼ら(ミラン)はスクデットを取りこぼしているのです。ミランで勝てないなら、ユベントスに勝つために彼を欲するでしょうか」
陰謀論なども飛び交っていますので、カルチョポリの真相が解明される保証はありません。『インテルとテレコム・イタリアの癒着説』も根強く流れている状況です。
モッジ氏の『ガッリアーニ黒幕説』ですが、“ありえないシナリオではない” といったものでしょう。
当時のユベントスはリッピ政権で、守備の綻びが目立ち始め、2003/04 シーズン後に「これは私のユベントスではない」というコメントとともにリッピ監督は退任しました。チーム再建のタイミングであり、モッジGM(当時)も退任するのではないかと噂されていました。
また、ベルルスコーニ会長とモッジGMの良好な関係がメディアで報じられていたことも、ガッリアーニ現CEOを窮地に立たせていたというストーリーも十分に考えられるからです。
いずれにせよ、全容が明らかになるにはかなりの時間を要することになるでしょう。墓場まで秘密を持っていく人もいるはずですので、継続して報道内容を追い続ける必要がありそうです。