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所在不明だったイハッタレン、オランダの日刊紙テレグラーフの取材に口を開く

 ユベントスが保有権を獲得し、昨夏にサンプドリアへの期限付き移籍が決まるも行方が分からなくなっていたイハッタレン選手が『テレグラーフ紙』の取材に応じていましたので概要を紹介いたします。

 なお、サンプドリアの現フロント陣は「事実と異なる」と否定しています。

画像:トレーニングに向かうイハッタレン
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モハメド・イハッタレン選手:
「サンプドリアを離れたのは事情があったからです。19歳の時に私はホテルの部屋に1人、完全に見捨てられたように座っていました。

 これ以上は我慢できません。契約は履行されず、信頼は失われました。私が行方不明だったとのサンプドリアの説明は事実ではありません。私は母の家にいました。彼らが尋ねればそこで私を見つけられたでしょう。

 私が到着した時、チーム・マネージャー以外は誰もいませんでした。ユニフォームを着用して写真を撮り、次の日にはトレーニングをしました。

 それからスーツを着た人々を見ました。経営陣だと思いました。私は彼らが誰かを知りませんし、彼らは私が誰かを全く知りませんでした。

 

 ダベルサ?彼は私が左利きであることも知らないでしょう。私はサッカーをプレーし、沈黙を続けることしか考えられませんでした。

 しかし、すぐに自信を喪失しました。オランダに戻ると決めた後にダベルサから電話があり、次戦では先発起用するから戻って来るようにと告げられました。

 ですが、彼らは約束を何一つ守っていなかったのです。だから信じることはできませんでした。

 

 ひざの問題でジェノバから1時間半をかけて MRI を3度も撮らなければなりませんでした。理由は分かりません。どの回でも損傷は確認されず、状態は良かったのでトレーニングを望みました。

 しかし、自転車に乗ることか理学療法士とプールで泳ぐことしか許されなかったのです。彼らは私のことを理解していないようでした。私は休暇中のように感じていました。

 カンドレーバとは口論をしましたが、彼のキャリアには敬意を払っています。グループの空気は良くないです。

 

 10月に長い付き合いのあるアリ・ドゥルスンのオフィスを訪ねました。全部私が悪かった、助けて欲しいと彼に言いました。彼はこの事態に責任を持てないと言ったものの、父親のように抱きしめてくれました。

 ライオラ?彼は心配で連絡が取れなくなったと言っていましたが、もちろん違います。失望しています。

 今はシャープさを取り戻す必要があります。私はそれが速くできると思っています。サッカーをしているように汗をかき、筋肉を痙攣させ、そう感じたいです。素晴らしいものになるでしょう」