首位インテルを追走する 2023/24 シーズンのユベントスですが、主力 FW であるキエーザ選手とヴラホヴィッチ選手が十分に機能していないことが現状です。原因は「キエーザ選手とヴラホヴィッチ選手の関係性」でしょう。
『スカイ・イタリア』などからの起用方法への注文は無価値ですし、“経営的なジレンマ” が存在しているのです。(将来の経営陣入りを目指す)キエッリーニ氏に適性試験として出題した方が価値はあります。
「イタリア代表のようにキエーザを WG として使え」という注文
『スカイ・イタリア』の1つ目の注文に関する回答は「イタリア代表にヴラホヴィッチはいない」です。
キエーザ選手が躍動するのは「キエーザ選手以外の10人でポジショナルプレーをすること」が前提。スパレッティ監督がイタリア代表で実証済みですし、“キエーザを除く9人” では不可能であることも証明済みです。
なので、キエーザ選手の能力を最大限で活かせるのは(イタリア代表の)スパレッティ監督か(ボローニャ)のチアゴ・モッタ監督。4-2-3-1 でキエーザ選手を左サイドに配置する布陣がベストでしょう。
当然、ポストプレーに難があるヴラホヴィッチ選手は構想外なので換金。キエーザ選手をエース待遇にすることで若手有望株の放出も不可避となる弊害とも向き合う必要性が生じることになります。
「ヴラホヴィッチを 4-3-3 の CF で起用してキエーザとの共存を図れ」との注文
『スカイ・イタリア』からの2つ目の注文ですが、この主張には事実誤認が含まれています。
ヴラホヴィッチ選手が21得点を決めて頭角を現したのは 2020/21 シーズンのこと。当時のプランデッリ監督(とヤキニ監督)が用いたシステムは 3-5-2。2トップの相棒は元フランス代表のフランク・リベリー選手でした。
この翌シーズンに 4-3-3 を用いるイタリアーノ監督の下でも継続して結果を残したことで印象が “上書き” されたのです。
したがって、ヴラホヴィッチ選手にシーズン20得点以上を期待するには「ヴラホヴィッチ選手以外の10人でポジショナルプレーをすることが前提」と言えるでしょう。
ヴラホヴィッチ選手にエース待遇を与えるなら、キエーザ選手は構想外です。
また、ヴラホヴィッチ選手と同じ2000年生まれのケーン選手の放出せざるを得ないでしょう。こちらはクラブがカイオ・ジョルジ選手など “人件費が安価な控え CF” の保有権を有していることが理由です。
並び立たない高級取りの両雄を抱え続ける経営的余裕は現在のユベントスに存在しない
記事の冒頭で「ジョルジョ・キエッリーニ氏に経営者としての適性があるかの試験として出題すべき」と書いた理由は『経営者案件』だからです。
- キエーザとヴラホヴィッチの2人にエース待遇を与えると、
- 両選手ともポストプレーが不得手なので攻撃は機能せず
- 高給取りの2人が予算を圧迫するので補強戦略に影響
- FW を本職とするクラブ内育成選手の流出は避けられず
「 “キエーザとヴラホヴィッチを主力として起用している 2023/24 シーズンのユベントス” には上述した問題があります。経営者としてあなたはどちらの選手に賭けますか?また、そう判断した理由を述べて下さい」と質問できるでしょう。
- キエーザにエース待遇: “優等生のイタリア人” が残留
- ヴラホヴィッチの放出
- クラブ内育成選手を数人失う
- ケーン: ザークツィー獲得成功時
- イリング or ユルディズ: 左 WG のポジションが埋まる
- ミレッティ or ファジョーリ: トップ下は存在して1枠
- ヴラホヴィッチにエース待遇
- マーケティング面での貢献度が高いキエーザを喪失
- クラブ内育成選手の退団は限定的
- ケーン: 控え CF か左 WG での起用になる可能性
『マーケティング面での魅力度の高い人気選手』と『下部組織の育成システム』が利害対立を起こしている状況なのです。
経営者として結果を残したいのであれば、(どちらが正解なのかは結果論でしか分からないような難しい問題に対する)決断を下さなければなりません。
前者を取ると「下部組織からの輩出ルートは閉ざされている」となるため、次世代の有望株からは敬遠されます。後者を取った場合は「マーケティング面での魅力度の低下」に直面することは避けられません。
キエッリーニ氏が『この問題に対する自らの決断』を理論的に説明できるのなら、将来の経営幹部としてクラブに迎え入れるべきでしょう。八方美人の回答でその場凌ぎをするのであれば別のキャリアを促すべきです。
キエーザ選手とヴラホヴィッチ選手の存在がトップチームのチーム編成以外にも影響を及ぼす案件と化してしまったのであれば、経営陣の責任でジュントリ FD に「経営面での中心選手1名を指定した上でチーム編成」を命じるべきでしょう。
非現実的な共存策を模索し続けることの限界が突き付けられてしまったからです。