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バルザーリ:「私の中での最強のユベントスであることをピッチ上で示したい」

 ユベントスが公式サイト上でバルザーリ選手が『ユベントスTV』からのインタビューに応じたことを取り上げていましたので、概要を紹介いたします。

画像:インタビューに応じるバルザーリ
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アンドレア・バリザーリ選手:
「ガエターノ(・シレア)と私のキャリアが比較されることは誇らしいことです。彼はシンボルであり、ピッチ外においてもお手本でした。(ガエターノの妻)マリエッラと(その息子である)リッカルドに感謝しています。

 自分がプレーしてきた中で最強のユーヴェか?結果はピッチ上で示されます。もちろん、紙の上では近年最強だと思います。しかし、結果は最後に分かるものです。

 強さを示したことは良いことです。なぜなら、開幕戦が最も難しい試合であることが多いからです。新しい選手も加入しましたし、難しいピッチにおいても良いスタートを切ることができてハッピーです。

 いつものように全てのコンペティションを戦いますし、1段ずつ登って行かなければなりません。最大限を尽くしたいですし、カンピオナートに加えてコッパ・イタリア、それからチャンピオンズリーグでもベストを尽くしたいと考えています。

 ロナウド?私達は彼を規格外と見なす傾向にありますが、私達と同じように笑い、冗談を言う普通の人間です。彼の到着はグループを本当にハッピーにしています」

 

 バルザーリ選手が「ガエターノ・シレア」の名をインタビューで出した理由は “ガエターノ・シレア記念賞” で表彰されたからです。

 ガエターノ・シレア氏はユベントスで長く活躍した名 DF で、デル・ピエロ選手に抜かれるまで「ユベントスでの出場試合数」の記録を保持していました。(現在はブッフォン選手にも抜かれているため、クラブ歴代3位)

 1988年に引退し、翌1989年にはゾフ監督の助監督としてユベントスのコーチに就任。しかし、1989年9月3日に UEFA カップでの対戦相手の視察でポーランドを訪れていた際の交通事故で帰らぬ人になったという経緯があります。

 シレア氏は現役時代に退場処分を受けたことがなく、温厚で紳士的であったことから "Gai" のニックネームで親しまれていました。そのため、スポーツマンシップを讃える賞で現在も名を冠されています。

 

 同じ DF として、ユベントスで主将を務めた経験を持つガエターノ・シレア氏の経歴と比較されることをバルザーリ選手が謙遜したのは上記のような背景があるからです。“最強のユベントス” であることをピッチ上で示すことができるのかに注目です。