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ディバラ:「自分は100%アルゼンチン人、トップになるための情熱もある」

 La Joya (宝石)の愛称を持つディバラ選手がイタリア『ラ・レプッブリカ』のインタビューに応えていましたので、その内容を紹介します。

画像:ユベントスの攻撃陣を牽引するパウロ・ディバラ
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 Q. ガットゥーゾによって、ポジションが下げられたというのは事実ですか?

 A. 彼の指導を受けたのは数ヶ月でしたが、そうです。トレーニングで、彼はプレーメーカーの位置に置き、中央でのプレーを求めました。飛躍をすることで伸びたのです。

 その結果、私はコンタクトへの対処法を学び、自分の身体を守ること、接触プレーを察知することができるようになりました。それからイアキーニがやって来て、トップでプレーすることになり、ディフェンダーからキープしなければなりませんでした。

 

 Q. 筋肉を必要としますか?

 A. トレーニングをしているなら、不要です。クアドラードを見て下さい。軽量級に見えますが、パンチ力は十分にあります。投げやりになることはありません。

 

 Q. 気になるのはメッシ?

 A. 研究対象です。彼のプレーすることが夢であることは周知の事実ですし、彼は怪我で欠場していましたが、アルゼンチン代表に選出されましたのでその夢も実現しました。

 話したこともなければ、対戦相手としてプレーした経験もありません。ですが、彼の行ったことすべてから影響を受けています。人としてのレベルでも彼から多くのことを学ぶことできると私は思います。

 

 Q. アルゼンチンでは年配者を中心にメッシは人気を有していません。なぜでしょう?

 A. それは特定の人たちのことです。マラドーナと違い、彼はW杯を勝ち取っていません。そのため、彼が攻撃の対象となっているのです。

 私は比較することはできないと思います。私達はディエゴ(・マラドーナ)を有していました。今、私達はレオ(・メッシ)を有しています。不満があるでしょうか。

 メッシを批判すること、クレージーなことです。

 

 Q. メッシの後継者だと見られています。明日にもなれそうですか?

 A. メッシは明日も健在です。彼と楽しみたいですし、アグエロやディ・マリアとも楽しみたいです。彼らとトレーニングすることは将来にむけての情熱となります。

 

 Q. メッシとともにプレーすることを考える日はありますか?

 A. とてもよくあります。私がメッシとともにプレーした時は仮に彼が5人の相手に囲まれていたとしても、彼にパスを出すと思います。

 

 Q. アイドルではなく、同僚だと考えたことは?

 A. ありません。

 

 Q. バイエルンではなく、バルセロナをユーヴェが引いた方がメッシのことを知れたのでは?

 A. 私はマゾヒストではありませんよ。

 

 Q. イタリアやポーランドのパスポートも保持しています。何がアルゼンチン人だと感じさせたのですか?

 A. この目で外国人のように見えますが、自分が 100% アルゼンチン人だと感じています。選択をしなければならなかった時も、迷うことはありませんでした。

 計算はしていません。イタリアかポーランドで争いになることはないと知っていましたし、私はアルゼンチンのためにプレーしたかったのです。そのことに疑問を持ったことはありませんでしたし、切り替えようと考えたこともありませんでした。

 自分の属性だと感じていない国の国歌を代表チームで聞いても幸せに感じることはないでしょう。

 

 Q. ネイティブから見れば、裏切り者?

 A. 友人であるフランコ・バスケスの母はイタリア人です。私は私が何も知らない曾祖母のおかげでイタリアのパスポートを保有しているだけです。彼は自分をイタリア人だと感じており、私とは異なる点です。

 

 Q. ポーランドの方により親しみを感じる?

 A. 確かにそうです。数ヶ月前まで私自身のルーツについて考えたこともありませんでした。少なくとも、祖父の姉妹に会う日まではなかったです。

 ポーランド人ジャーナリストが私やクラクフ近郊にあるクラシニェフのディバラ家についてのドキュメンタリーを作ったのです。私は大叔母とスカイプで会話しましたし、今は従兄弟たちとも連絡を取っています。ですが、現実にはポーランドに足を踏み入れたこともないのです。

 私の兄弟であるマリアーノはより多くのことを学ぼうとしています。彼は多くのペーパーを書いていますし、決して答えを忘れることはないのです。

 

 Q. 父親はあなたが15の時に亡くなりました。

 A. 私に同行することはできなかったのですが、トレーニングセッションはありませんでした。闘病は長かったため、私は父が余命数ヶ月であることに気づいていました。父を亡くしたことは非常に寂しく思いますが、そのことが私に強さと成熟度を与えてくれます。

 私は家族とともに生活しています。母は私とともにトリノで生活しています。ですが、私が自分自身のためにキャリアを作りたいと希望した場合、実家にいることはできませんでした。15歳でクラブチームのホステルに滞在するために旅立ったのです。

 アルゼンチンではすぐに一人前になるのです。

 

 Q. そして、18歳の時に変化が訪れました。

 A. 私はヨーロッパに行く前の数年間はリーベル(・プレート)やボカ(・ジュニオルズ)でプレーするものだと想像していました。

 ですが、ある日、(パレルモの)ザンパリーニ会長が移籍金1200万ユーロを提示したことで、私はヨーロッパに旅立たなければならなかったのです。

 

 Q. 無理矢理ですか?

 A. 自分自身は受け入れています。あの資金は私の所属していた小さなクラブを浮上させるものになったからです。

 ですが、会長は売却を決めた後に少し落ち込んでいました。資金繰りに苦しんでいるようですし、昔の同僚選手たちは無給になっています。彼らは前に進んでいますし、サポートしてくれるファンに感謝もしています。

 私の犠牲が役立っていないことに少し怒りを感じています。

 

 Q. パレルモは正しいステップでしたか?

 A. はい。彼らは私をそこで10年いる選手のように迎えてくれました。ですが、スタートは難しい時を過ごしました。

 言葉や何をしようとしているのかがわからなかったですし、コーチが途中で変わるといった経験もありませんでした。同僚たちと話し、これがザンパリーニ(会長)のノーマルなのだと知ったのです。解雇はショックでしたが、私はパレルモでリーベルやボカで学ぶことを身に付けたのです。

 私は偉大な選手になりたいですし、願いとしてはシチリアからそこにたどり着きたい願望があります。最初はとてもそうは感じませんでした。ですが、すべてのことを上手くやり遂げればそうなることも知っていました。

 

 Q. ベンチスタートを乗り越えたことを思い出して下さい。

 A. 私は待たなければならないことを知っていますが、急いだことは決してありません。(移籍金の)支払いに対するプレッシャーもあります。耳にしないということはありません。

 

 Q. ユーヴェでの活躍は疑いようのないことでしたか?

 A. いいえ、私はパレルモに所属していたのです。最初の6試合で15ゴールを決めなければならなかったのではありません。アッレグリが起用しなかったのは、負けを望んでいたからという訳ではありません。

 

 Q. 起用されなかったことに怒りを覚えたことは?

 A. パレルモ時代はありましたが、ここではありません。アッレグリは昨シーズン、すべてに勝ちました。私が彼に怒りを覚えることなどできませんよ。

 

 Q. 以前と何が違うのですか?

 A. 私は勝ちたいという欲望を得ました。それは奇妙で困難なものです。ベルリンでのファイナルの後、チームとともに飛行機で帰路につきました。その時にマルキージオとのエピソードが私に突き刺さっています。

 彼は自己紹介をするためにやって来て、私に「よく準備しておけよ、俺たちは来年すべてに勝たなければならないんだからな」と言いました。

 信じられないことでした。彼らはチャンピオンズリーグ決勝を戦い終えたばかりなのです。休暇に入っているにも関わらず、もう来年のことをすでに考えていたのですから。

 これが私が感じたパレルモとユベントスの間の差だと思います。

 

 Q. 技術的な面での違いは?

 A. イアキーニは私をトップで起用することを望み、アッレグリはセカンドトップ(シャドー)に置いています。

 私は頻繁にボールタッチをしていますが、パレルモではバスケスがその役割を担っていました。ここではモラタとその役割を分担することができます。

 

 Q. メッシの役割を?

 A. メッシは彼が希望する場所でプレーしています。守備を怠らない限り、私は攻撃時に自由を与えられています。メッシにはそういったタスクはないでしょう。

 

 Q. 予想よりも早く自分の目標を達成できそうですか?

 A. 私は今シーズン、15ゴールを目標に掲げました。ですが、私はすでに10ゴールを記録していますし、目標数を変えなければなりません。スケジュールの前倒しです。

 

 Q. 誰があなたの成長を手助けしてくれるのですか?心理学者それともモチベーター?

 A. 私は他の人が「私が利己的だ」とか「私のやっていることが間違っている」とは言えないことを私に言ってくれる家族を持っています。私が必要とするのであれば、兄たちは私をビンタするでしょう。

 グスタボは35歳で、マリアーノは32歳。彼らは良いフットボーラーでしたが、私の夢にすべてを注いでくれています」